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医療は公共インフラではない | 災害の芽を摘む – saigai.me

 もうじき呼び名も変わるかもしれない新型コロナウイルス感染症(COVID-19)ですが、流行拡大が始まった2020年に『医療崩壊』という言葉が聞かれるようになったご記憶はお持ちではないでしょうか。

 単に患者数が増大し、用意された病床数では足りなくなるという意味合いで使っているテレビ出演者も多く居ましたが、それほど単純でもないと思います。




保険医療機関は規制産業

 日本は国民皆保険制度をとっているため、ほとんどの医療機関が保険医療を行っています。

 利用者の多い自由診療はインフルエンザワクチンの予防接種くらいです。

 保険証を持ってきた人に、保険を使った医療を提供するためには保険医療機関であることが必要ですし、保険医が診療する必要があります。
 保険医療機関も保険医も厚生労働省が管理し、地域の保健所にはその名簿が備えられています。

 保険で定められたとおりの診療を行わず、保険を請求することは違法行為です。健康保険法に抵触する可能性があるほか、保険者を欺いたとされれば違う法律も適用される可能性があります。

 規制を受ける中で行われる保険診療は、規制があるから秩序が保たれて市場が成り立っている部分もあります。

【参考】厚生労働省:保険診療等において不正請求等が行われた場合の取扱いについて




保険診療は全国一律の公定価格

 保険診療には役務や物品に対して価格が決められています。いわゆる診療報酬というものは1つの価格表に基づいて、日本国内のどこへ行っても同じ価格で保険診療が受けられるというものです。

 都心の高層ビルの最上階で診察を受けても、山間部にある古びた木造平屋建てで診療を受けても、初診料や処置料などは原則的に同額です。

 同じ行為であれば、ベテランも新人も同額、専門家でも専門外でも同額、医師が10人がかりで診ても1人でも同額、待ち時間が長くても短くても同額、ということになります。

 この規制と公定価格の中で成り立つビジネスモデルを描き、医療機関は廃業せずに業務を継続しています。




個々は中小企業

 大学病院クラスであれば従業員が2~3千人ということもありますが、それは『病院』の5%程度にすぎません。
 診療所と病院を合わせると10万軒を大きく超えますが、そうなると大学病院クラスは1%にも満たないごく少数派です。

 日本で最大のチェーン店病院は国立病院機構だと思いますが、ほとんどが1軒の病院を経営するにとどまり、1つの拠点、広くても半径20km程度を診ている地場産業のようなものです。

 経営の多角化には規制が阻み、原則的に医業だけで採算を取るように法人が成っているため、医療サービスを提供して得る対価で経営が成り立ちます。

 公的補助金で運営されるのではなく、ほぼ100%が自前の資金で、自前でサービスを提供し、自前で料金を回収することになっています。
 『保険は利用者3割負担』だというイメージがありますが、窓口負担が3割であって、残る7割は保険者が支払います。医療機関はいつも割り勘をしているようなもので、総額を計算したのちに、窓口に居る人から3割貰って、あとで保険者に7割を請求して、だいぶ時間が経ってから7割を支払って貰います。
 この7割の保険者からの支払いは補助金でも何でもなく、正当にサービスを提供した対価として貰う売上金です。

 どこの医療機関も1拠点、さほど規模も大きくなく中小企業のような堅実な小規模経営をしているケースが多くあります。




ケーキ屋さんが本格和食御膳!?

 例えは何でも良いです。ラーメン屋さんが高級食パンをつくるでも良いです。『あなたは食品関係の仕事をしているので、明日からプロレベルのアレを作って販売してください』と唐突に業態変容を求められて、対応できるでしょうか。
 しかも『3カ月後には元の仕事に戻ってください』という条件付きでしたら、いかがでしょうか。

 標題にあるとおり、ケーキ屋さんに来週から有名板前と同じレベルで本格的な和食の御膳を提供するお店に変わってくださいと言われて、できるのでしょうか。

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行拡大期にはこのような事象がみられました。
 医師であるから、感染症も診れるというのは、免許制度の上でのことであり、専門性を鑑みると容易なことではありません。

 たしかに、医師以外が医師行為はできないので、医師が対応するのは当然なのですが、医師だから誰でもできるということではありません。

 少し極端ですが、疼痛緩和のペインクリニックを経営している麻酔科医に『ここは来週からコロナ患者の治療を』と言われて、どれだけの医師が対応できるのか、どの程度の力量を求めるのかは明示されなければ、当事者の医師は不安です。




プロとしてミスは許容できません

 医師法などが関係しますが、基本的に、医師にミスは許容されません。

 普段であれば、専門外の患者は診ません。

 新型コロナウイルス感染症であるか否かを判断するためにPCR検査などが行われて陽性か陰性かは検査装置が判断してくれますが、この人を入院させるべきか否かは判断してくれません。

 その判断は医師が下す訳ですが、普段から発熱や呼吸苦の患者を診ているエキスパートと同じレベルで、普段はまったく診る事のない患者を診てくださいと言われても、責任をもって判断できるかどうかは、定かではありません。

 もし誤診があった場合にどうなるかと言うと、損害賠償請求をされたり、医師免許を停止させられてりする場合もあります。

 このとき『医師として気づくべきであった』と裁判で言われてしまうためです。
 『普段は麻酔ばかりしてきたので内科的な診断は難しい立場にあったので誤診も仕方ない』とされたとしても『麻酔科医として内科に長けていない者が診療すべきではなかった』として、やはり過失があったとされる可能性もあります。




付け焼刃のプロから本格プロへ戻る

 今回の新型コロナウイルス感染症では、専門外であろうが何であろうがコロナ対応して欲しいという要望が出され、協力しない医療機関を公表するという脅しかなと思えるような報道もみられました。

 仮に協力したとしても、ほとぼりが冷めたら元に戻らなければなりません。コロナ専門の病棟などもいずれは閉鎖されます。

 プロは、毎日の積み重ねでプロレベルを維持しますが、半年や1年も休んだら、復帰には時間がかかります。
 特に地域性が強いとされる医療ゆえに、地域に居た患者さん(店舗で言えばリピーター客)が離れてしまった場合、それを取り戻すための期間や努力も必要になります。

 洋風のオシャレなケーキ屋さんが、畳敷きの漆喰壁に丸坊主にねじりハチマキの板前が居る和食店になり、そのイメージが定着したころにオシャレな店に戻っても『あそこは和食屋ではなかったっけ?』『あの板前さんの作るケーキ?』みたいないことになりかねません。

 この、元に戻った時の再興までフォローしてあげる約束がないと、有事だからといって誰もが協力できるわけではありません。




大地震が起きたら

 大地震が起きたら、まずは人間としてできることをするというのがスタートだと思います。

 その中で、医師としてできることをするという人も出てくると思います。
 しかしながらそれは、医師個人の意思によるものであって、強制されるものではありません。

 針も糸も血も触れることはない仕事をする医師が、災害が起きると急に外科医に変身することはなく、目の前に出血している人が居ても、学校の保健室レベルでしか処置できないかもしれませんが、それを責めることはできません。

 現役を退いた高齢の外科医が、持っているスキルを活かして人命救助にあたることもあるかもしれません。普段は診療を行っていない医師でも、社会の役に立つならと活躍してくれる場合もあります。

 医師それぞれの立場、考え方で行動することになります。




医師個人は、あくまで個人

 医師免許を持っているからといって、公人にはなりません。

 災害が起きた時に協力してくれるとしても、それは個人の判断です。




多くの医療機関は、あくまで民業

 医療機関も、保険医療機関であるから公的機関かというと、そうではありません。
 公的な仕組みの中で経営している民間企業のようなものです。

 公的資金が投じられているのは一部の医療です。

 新型コロナウイルス感染症で言えば、感染症指定医療機関というものが元々あったので、そこには公的資金で設備投資された所もありましたが、指定を受けていない医療機関では、感染症を診るための設備も人材も抱えていなくて当然です。

 地震などに対しては災害拠点病院やDMATが制度化されていますので、そこには資金や人材育成に税金が使われることもありますが、それ以外の医療機関では災害医療を提供するのは任意です。




民間企業に強要できますか?

 もし、阪神淡路大震災や東日本大震災のような大きな災害が発生したときに、すべての民間企業に対し『災害が起きましたが休業せずに営業し続けてください』と言われて、各社はどのように対応するでしょうか。

 スポーツジムやカラオケボックスに『災害時も営業できるように防災や減災に努めてください』と言って、どれだけの企業が対応するでしょうか。

 災害が発生した際に休業しても差し支えないところは自己判断で休業、その休業補償は出ないですが営業し続けるための予防的な投資にも助成しませんというのが普通だと思います。

 医療機関に対しては、災害対策の費用は出さないが、災害時も診療を続けてくださいということを行政などが言う場合がありますが、今の診療報酬の中で備蓄を強化することも容易ではありませんし、災害に対する教育を行き届かせることも容易ではありません。

 人道的な立場に立ち、医療機関は自前で備えを強化していますが、備えることは法的義務でもないですし、補助金などの資金手当てがある訳でもありません。




わが身を守るためには、身をけずる

 大地震のようにケガ人がたくさん出るようなときに、自身や家族が負傷しても診て貰えるようにするためには、近隣の医療機関に災害対策をお願いする必要があります。

 筆者の考えとしては、自治会などで集めた資金を開業医などに渡して発電機や包帯などを買っておいてもらう、というのが良いのではないかと思います。
 開業医も被災者の1人になるので『絶対に診療する』という約束はできないにしても『電力がないから診れない』『ウチには外傷治療の診療材料がない』ということを発災後に聞かされるのではなく、平時に『診られない理由』を減らしておくことが重要ではないかと思います。

 筆者の住むエリアは350世帯で自治会が形成されています。
 毎年、空き缶などで30~40万円の資金を得ていますし、1世帯1千円で35万円の自治会費も集まっています。
 10軒ほどの診療所があるのですが、10万円の発電機であれば2年後には全診療所に配備できます。縫合糸やガーゼなどを50万円分も買えれば、けっこうな量になります。




国民の期待

 よく聞く質問に『あたながいま、ここで被災したときにどこの医療機関へ行きますか?』と聞くと、みなさん近い医療機関の名前を挙げます。

 次に『そこは災害時でも診療していると思いますか』と聞くと『病院なんだから大丈夫』というご意見がよく聞かれます。

 さらに『災害拠点病院がどこにあるかご存知ですか?』と聞くと、その制度すら知らない人が多く居ます。

 国民の期待としては、医療機関は災害時であっても強くあってくれて、自分たちを救ってくれるという気持ちでいるのではないかと思います。

 一方で医療機関は、それに応えようと努力していると思います。
 ただし、資金や時間などの限界があり、完璧な状態を目指せる状況にはないと思います。

 期待している人が居るならば、多少は税から費用負担しても良いような気がします。




公的インフラではないから

 消防や救急、警察などは公共機関ゆえに税金が投じられます。

 医療機関は民間組織なので、税金を投じる根拠法がありません。

 何となく公的っぽいが、公共機関ではないという位置づけが、災害時の混乱を助長する可能性があります。




知る事が大切

 医療を頼りたい国民の立場からすれば、近所の医療機関は災害時には診療してくれないかもしれない、ということを知っておくべきです。
 同時に、災害拠点病院がどこにあるかも知っておくべきです。

 情報さえ持っておけば、被災時にとるべき行動が見えてきますし、少なくともNGとされる行動はしないと思います。

 医療機関側も、国民が期待している事を知り、特に近所に住む人にどう見られておくのかを知る事が重要です。
 内科の診療所に外科処置セットはないと思いますが『当院には切り傷を治療する器具や材料はありません』ということを近所の人に知ってもらうと、過剰な期待は抑えられると思います。




おわりに

 災害時を考えると、その状況下で生き延びるということがゴールになると思いますので、絶対にゴールにたどり着けないという選択肢は採らないように『知る』ことは重要だと思います。

 もし、皆の期待が高いことがあれば、その期待どおりになるように資金提供したり、協力要請をすることも重要だと思います。

 コンセンサスを得ることは容易ではありますが、努力も必要だと思います。